当ブログのコメントレスについて

 コメントに関する質問を頂きました。宗教ネタというわけではなく当ブログの運営方針に関する問題ですね。不快な思いをされる方がいては申し訳ないので、ちゃんと答えておこうと思いエントリーにしました。「気にならない」「どうでもいい」という方はスルーして下さい。

>> かがみさんがコメントをスルーする基準というのをいつか小一時間ほど伺ってみたい。
>> もちろんどうしようもないコメントはスルーするのが賢明だし、スルーを基準として「気が向いたものだけ返しますよ」っていうスタンスでも全然ありだとは思うけど。
>>
>> 思うけれど…、例えば自分がマジでハーコーに爆笑さんだったらたぶんすごく落ち込んだ。
>> 「マジかよw親鸞がアイドル歌手とかなんという着眼www」と盛り上がることもできたし、「いや、あんたのとはちょっと違くね?少なくとも一遍がEXILEはないわー。」でもちゃんとした会話として成立するので問題なし。もちろん「面白いですよね。民衆に於ける娯楽としての文化の土壌って〜」なんて優等生的な返答も素敵。せめて最悪、「そうですか、なるほど。」コレだけでも、その一言だけでもあれば、ずっと救われたというのに。
>>
>> 誤解されないように付け加えておくけど、別に聖人君主を求めているわけじゃないです。そもそも全部にレスする必要なんかないし、したら面白くない。くっだらないレスするのだってOK. なんでここでスルーするんだろうっていう単純な疑問。だから、ましてや非難でもないです。教えてほしい。そうすればコメントする際にも参考になるし。
>> 記事本文で笑って、感心して、その溜飲を味わいつつコメントを眺めてたら、言葉の乱暴な人が現れたわけでもないのに急に心が寒くなった。
>>
>> これまでにも他の掲示板なんかでそういうふうに感じることは度々あったけど、何が基準なの?
>> やっぱり単に気分としか言いようがない? それとも「コイツ、びっくりなんて口では言ってやがるが便乗して名を上げる(?)つもりだな。無視だ無視」と考えられた? あるいはTahoさんなんかの比較的意味合いの強いコメントをスルーしてるところから察するに、自分のアイディアなのに「同じようなこと言ってる人」が存在すること自体が許せなかった? もしくは、かがみさんなりの「返信することで生まれる面白さとその判断基準(要するに、面白さ至上主義)」みたいなものが明確にあるの? 才覚溢れる人で、人間的な魅力も強く感じるこの頃ですが、時々あまりにも高次元すぎてついていくのがやっとのことがあります。二三行でいいので(またそれ以上は追求しませんので)どうかアドバイスを頂ければと思います。

 というご意見ですが、まず全レスしないことに関し、物理的な話をしますと、現状、物理的に不可能です。すいません。僕の余暇を全てレスに使えば可能ですが、そうすると精神的に持ちません。

 次に精神的な話をしますと、コメントを読んで「面白いなあ」と「感じる」のは楽なんですが、それに対してパッとレスが浮かぶ時と浮かばない時があります。「感じる」のは「消費」なんですが、「レスをする」のは「創作」なんです。

 それで、浮かぶ時は脊髄反射的にそのまま書けるので楽なんですが、浮かばない時に何かレスを考えようとすると精神的負荷が少なからず掛かります。昔は全部レスしてたんですが、レスをあんまり頑張ると義務感のせいで楽しいはずの掲示板が楽しくなくなるんですよね。なので自分がコメントを楽しむためにも「パッと浮かんだ時だけレスをする」という形に現状落ち着いています。「空返事でもいいからレスして」という気持ちも分かりますが、それは僕にとって面白い作業ではないので精神的苦痛になってしまいます。

 ただし、コメントには例外もあって、ソリさんのコメントのように「これってどうなんですか?」とあった場合は、"答えられそうであれば"ちょっと時間を割いてでも考えますし、Stephanさんのコメントのように「これってホントはこうなんだYO! 間違ってるYO!」と書かれた場合は、ある程度時間を使ってでもこちらの見解を示します。ただし、これらも「今日は疲れた……」「忙しい……」などの理由でスルーしたりします。(ちなみにStephanさんのコメントはすごく難しい問題で、あの7行のレスには約1時間掛かってます。なので、重要な問題であっても忙しい日は物理的にレスできません。また、神学的・宗学的にあまりに込み入った問題は正直手に負えないので積極的に無視します)

 また、今回のコメントのように「***さんの意見が聞きたいです」と名指しされると、「これは答えなきゃ」という気持ちになりやすいです。なので、どうしても返事が欲しい人は名指しで聞いて下さい。ただし、それでも確実にレスできるわけではないことをご了承下さい。

 まとめますと、僕からのレスがなくても、そのコメントがつまらなかったわけでも不快だったわけでもなく、「すぐにレスが思いつかなかっただけ」だと諒解して頂けると幸いです。レスがないと寂しいのは僕も他サイトで経験ありますし、全レスしてもらえると嬉しいことも分かっていますが、現状、物理的・精神的に全レスは難しいです。願わくば、レスがなかった場合は、「なるほどー」「そうなんだ!」「ほへー」などの感嘆詞でのレスがあったと脳内補完してもらえると幸いです。実際、パソコンの前では「ほへー」とか言いながらコメント読んでます。

バハイの死生観

 こういうのは本当は「仏教の死生観」とか「キリスト教の死生観」とかやるべきなんでしょうけど、いま勉強しているのがバハイ教なんだから仕方がない。自分の備忘録代わりにまとめておきます。

 少し説明すると、バハイ教というのはイスラム教を背景に150年ほど前に出発した宗教で、日本が明治維新とかやってた頃に「男女平等」「偏見の除去」「極端な貧富の差の排除」などを掲げていた恐ろしく先進的な団体です。現在ではNGOとしての性格も強く、識字率の向上などに努めていたりします。勧誘をしない(※1)ため日本での知名度は低いですが、世界には約600万人の信者がいます。

 以下は僕が勉強した限りでのバハイ教の死生観をまとめたものです。ただし、バハイ教では信者間での解釈に差がある(※2)ため、全てのバハイ信者にとっての共通理解とは言い切れないことを先にご了承下さい。


バハイ教における人間理解

・まず、バハイ教では人間存在を「肉体」と「魂」に分けて考えます。精神界(神の領域?)で生まれた魂が母親のお腹の中の胎児に宿って一人の生命がスタートします。(これは魂的な発光物体がフラフラ飛んできてお腹の中に入るわけではなく、正確に言えば「光を反映する鏡のような」関係です。光が魂であり、鏡が肉体です。光はどこか遠いところにあり、鏡がそれを映しています。人の死とは、鏡が割れて光を反射できなくなった状態のことです。しかし、鏡が割れても光は存在し続けます)

バハイ教では人生の目標を「神に近付くこと」と設定します。ここで言う「人生」とは肉体が死んだ後も永遠に続く「魂の生」も含んだものです。


バハイ教の死後観

バハイ教の死後観では「天国」や「地獄」はありません。神への遠近だけがあるとされます。

・肉体が死ぬと魂だけになります。そして、魂は神の方向に向けて永遠に「進歩」します(神の方向に近付きます)。

・イメージ的には、神がものすっごく遠くにいる状態を想像して下さい。死後の魂はそれに向かって少しずつ近付いていきます。善人であれ、悪人であれ、魂は必ず神に近付いていきます。ただし、その接近スピードに違いがあり、善人(正確に言えば「神への信仰を持つ者」)の方がそのスピードが速いわけです。

バハイ教に「地獄」はありませんが、この接近スピードが遅いことが「地獄の烈火そのもの」であると言います。イメージ的には、超超大好きな恋人の下に一刻も早く行きたいのに遅々として進まないもどかしさ寂しさ悲しさが「地獄の烈火のよう」なのではないかと思われます。

・人は死ぬことで「肉体」という物理的制約を解き放たれ、神に近づけるようになります。なので、死んでからが本番です。こう書くと死ぬことを賛美しているヤバイ宗教のような気もしますが、とはいえ人間いつかは死ぬんですから、死の意味を積極的に意味付けている(死を無闇に恐れない)とも言えます。また、死んでからが本番とはいえ、生きているうちは何の意味もないのかと言えばそんなこともありません。


バハイ教の生の意味

・では、バハイ教徒は生きているうちに何をするのかと言えば「死んでからの準備」をします。つまり、「魂が速く神に近づけるように」準備するのです。「神を信じること」「その教えを守ること」により、死後の魂のスピードは上がります。

・野球のボールをイメージして下さい。魂がボールです。このボールは手から放たれた後も減速せず、むしろ加速する不思議なボールです。そして、遥か遥か彼方には神がキャッチャーミットを構えて座っています。このキャッチャーミットに納まるのがボールの目的です。この時、そのボールを思いっきり投げるのが肉体の役目となります。

・神への信仰がしっかりしていればボールは思いっきり投げれます。なので、ボールは猛スピードで神の方へ向かいます。しかし、信仰がしっかりしてなければ体勢が崩れたり筋力不足だったりして、へろへろ球しか投げれません。バハイ教徒にとって生の意味とは、「思いっきりボールを投げること」なのです。

・ボールを投げるまでに許された時間には個人差があります。80歳で死ぬ人もいれば3歳で死ぬ人もいます。「しっかり準備して80年後に投げてね」という場合と、「悪いけど、キミ、3年後に投げてよ」という場合があるわけです。これは不公平な気がしますが、バハイ教徒は「オレたちは準備期間は長ければ長い程イイと思っちゃうけど、全知全能の神が3年で投げろって言ってるんだから3年で投げるのがベストなんだろうな」と考えます。(これはイスラム教に近い思考法と思われます。イスラム教では何か困ったことが起こった時に「オレたちには良く分からんが、こうするのがベストだと神はお考えなんだろう」と考えます)

・生は「ボールを思いっきりブン投げるため」の準備期間です。ですから、バハイ教徒は生の意味を軽視しません。ただし、あくまでも本番は死後であり、生はそのための準備期間に過ぎません。つまり、「ボールを思いきりブンなげる」ことは「生き続ける」ことよりも優先されます。

・例えばバハイ教では「冤罪による死刑」は仕方のないものと考えています。バハイ教は理性を重視しますが、「人間は間違いを犯すもの」とも考えており、裁判官や陪審員たちが理性を十分に働かせ偏見を排除して裁判に当たっても、それでも「間違って死刑にしてしまう」可能性は免れないと考えます(実際にそうでしょう)。死刑廃止論者は「だから死刑はすべきでない」と考えますが、バハイは「それでも社会秩序のために死刑制度は続行すべきだ」とします。間違って死刑にされた人も、その人自身には落ち度がなく、「ボールは思いっきり投げれた」はずだから問題ないと考えるためです。

・この態度は「厳しい」と言えるかもしれませんし、「現実的だ」とも言えます。現実問題として、人間のミスは免れませんし、冤罪などの不幸はなくならないでしょう。そういった問題を「神」で解決できるという意味では現実的なアイデアとも言えます。ただし、これで解決できるのは「神」を信じることができる人間だけであり、つまり、信仰がなければ解決できません。バハイは全体的に理性的な宗教ですが、この辺りになってくるとやはり「信仰」の問題になります。


※1 正確には「布教はするけど勧誘はしない」というスタンスで、自分たちの存在や教義はアピールするけれど、「入って下さい」と言うのは禁止されています。これは彼らが「理性による各人の主体的判断」を重視しているためです。ただ、日本のバハイでは「布教」もあまりされていません。なお、識字率の向上もこの一環であり、「理性的に判断してもらうためには、まず判断するために必要な文書が読めなければならないから」という面があります。

※2 この点は他宗教に比べてバハイの特異な点で、彼らは信者間での聖典解釈が異なることを恐れません。大抵の宗教では解釈が異なれば師匠の方に合わせるよう指導されますが、バハイでは「あなたにはあなたの人生経験があるのだから、あなたがそう解釈するのならそれでいい。私はあなたの解釈を参考にするし、あなたは私の解釈を参考にしてもいい」というスタンスを取ります。


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インド、極貧王子大悟

 インドの王子ゴータマ・シッダールタ菩提樹の下で豁然大悟しているのが発見された。大悟の原因は乳粥。この王子は若いころから貧困生活をしておりマーラにも何度か誘惑されていた。

 ゴータマ王子は約2500年前にルンビニーに生まれた。国王シュッドーダナ・ゴータムはゴータマ・シッダールタにクシャトリアとしての英才教育を与えており、王子は現在も王位に非常に近い存在である。

 しかし変わり者のゴータマ王子は城を飛び出し断食生活をするようになった。家族からの援助もプライドがゆるさないと断っていた。

 王子は脇の下から生まれて天上天下唯我独尊と叫んだり、ナチュラリストとして人食い虎の食料を確保したりと話題につきなかった。

 また王子が結婚していたインド人の美女は「邪魔もの」という名の子供を連れており、さらにマーガンディヤーは大小便の詰め込まれた女であることが発覚した。


元ネタ:ベルギー、極貧王子死亡

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「完全教祖マニュアル」vs「宗教社会学入門」

 コメント欄に質問が来ましたー。


>> 大作 2009/11/11 09:46
>> 「ヒップホップで学ぶ日蓮」が面白く、興味が沸いたので
>> 完全教祖マニュアル注文しましたー!楽しみです^^
>> 以前のエントリーにあった橋爪先生の「宗教社会学入門」
>> 合わせて注文しましたが、どちらを先に読むと理解し易いでしょうか?


 お買い上げありがとうございます( ^ω^)


 えー、それで、「宗教社会学入門」と「完全教祖マニュアル」、どちらを先に読めばいいのかという質問ですね。はい、ありがとうございます。実に都合のいい質問ですね(宣伝的な意味で)。

 さて。それでは、まずは両者の特徴を書いておきますが、橋爪先生の「宗教社会学入門」は各宗教についての知識をコンパクトにまとめた本です。つまり、「キリスト教はこういうものです」「仏教はこういうものです」「イスラム教はこういうものです」といった知識を章ごとに分けて分かりやすく教えてくれます。これは学者先生が書いたとは思えない程に平易な本で、大学生なら楽勝、高校生でもたぶん読めるくらいのレベルです。

 一方、僕たちの「完全教祖マニュアル」は、キリスト教とか仏教とかイスラム教とかのエピソードをあっちこっちから引っ張ってきて、そこから「教祖にとって大切な知識」を抽出している本です。個別のたくさんの事例から一定の公式を導き出したものと考えて下さい。

 ですから、先に「宗教社会学入門」を読んで、「個別のたくさんの事例」を体系立てて学んでおくと、「教祖マニュアル」を読みながら「あー、なるほど、***教のあのシーンね」と分かりますし、逆に「教祖マニュアル」を読んで公式を知ってから「宗教社会学入門」を読むと、「ふむふむ、***教のこういうところにはこういう意味があると考えられるな」と読めるわけです。

 なので、どっちを先に読むかは趣味の問題となるわけですが、あえて言うなら「教祖マニュアル」かな……?? 「宗教社会学入門」もすっごく分かりやすい平易な本ですが、「教祖マニュアル」はさらに平易です。もはや軽薄と言っても良いかもしれません。というのも、「教祖マニュアル」は学術書ではなく、あくまで「教養が付く面白よみもの」なのです。その分、「ストレスなく読めること」を最重視しています。なので、全くの初心者はへらへらっと「教祖マニュアル」を読んで軽く体を慣らしてから、「宗教社会学入門」を読むと楽かな、と思います。この2冊だけでも社会に出てから宗教関係は90%まではいけると思いますし。

 ***

 ただ、断っておくと(こういうことはセールス的には書かない方がいいんだろうけど)「教祖マニュアル」と「宗教社会学入門」だけでは、90%まではいけても100%対処はできません。僕たちも橋爪先生も分かりやすさを優先するために細かい問題はかなりざっくりとはしょっています。というのは、こういうのって正確性を期すれば期するほどつまんなくなるんですよ。「***はこうです!」と書きたいのに、「***は大体においてこうであるが、こういう場合もあり、しかし、これには留保が付いてこういうケースに限られ、だが一方で、現実的にはこういうことも見られ、また、こういう異論もある」みたいに書かなければならなくなるのです。そういうのはガチの学者の仕事ですので、90%以上を目指したい人は難しい本を読んで下さい

 ただ、現実問題、世の中の人はそれほど宗教に詳しいわけではないし、それほど興味があるわけでもありません。この2冊だけでもそうそう困らないはずです。あんまり宗教知識のない人が「できるだけ楽して」「そこそこの知識を得たい」と考えるなら、この2冊は費用対効果の高いセレクトだと思っています。

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如何なるか是れ祖師西来の意

http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200911100459.html

>>  民主党小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で記者団に「キリスト教イスラム教も非常に排他的だ。その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」と語った。


 いやあ、僕の書籍発売に合わせてこんな発言をしてくれるだなんて、小沢さんは庶民のことを思いやってくれる素晴らしい政治家だなあ。更新ネタに困らなくて幸いです。


 しかしまあ、小沢さんの言わんとするところは多分そんなムチャクチャなことではないかな、と。小沢さんとしては、おそらくアメリカなどのキリスト教的価値基準を根底にした外交スタイルに文句が言いたかったのでしょう。たとえば、こないだ読んだ本ではアメリカ人はこんなことを言ってると書かれていました。

「私たちの国は多様な文化を認めマース」
「デモ、中国のやつらはクソデース」
「あいつら、地域コミュニティに参加せず、親戚同士で固まりやがりマース」
「中国人、ホントにクソデース」

 つまり、アメリカ人が「多様な文化を認める」と言っていても、それはあくまで「オレたちの価値基準」、すなわち「キリスト教的価値基準」で認められる範囲の「多様な文化」でしかないということです。しかも、当のアメリカ人はそれに気付かず、「私たち、ホントに寛容で素晴らしいデース」とうぬぼれていると、その本ではそう指摘されていました。

 そういえば学問の世界でも、昔は「欧米サイコー」って感じだったんですが、

1、欧米の文化サイコー、他の地域はマジ野蛮人
2、何言ってんだよ! 他の地域も見直してやろうぜ!
3、「見直してやろうぜ」って何様だよ、オイ!

 という感じで推移してきたわけです。つまり、「他の文化も見直してやろうぜ!」という態度そのものがまだ「オレたちの文化基準」であり、まだ思い上がっている、と。小沢さんが「キリスト教のやろうどもは排他的で独善的」と言ってるのも、おそらくそんなニュアンスではないかなーと思います。

 が、それはそれとして、「その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」「欧米人に仏教の神髄を説いてやるのは非常に意義がある」と言うのもどうかと思いますが。「世の中はキリスト教的価値観だけじゃないですよ」「仏教的価値観も同じ位置においてね」と言うならともかく、これじゃあ単に思い上がりの上塗りでしかない気がするんですけどねー。


 ***

 ところで、「仏教の神髄」を欧米人に説いてやってくれ、ということは、小沢さんは「仏教の神髄」を掴んでいるということなので、もしかして小沢さん……、既に悟ってるんじゃ…………!

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「完全教祖マニュアル」発売中です。


 おそらく今日ぐらいから書店に並び始めていると思いますが、ちくま新書から「完全教祖マニュアル」が発売中です。定価777円。目次はこちらをご参照下さい。

 さて、本書ですが、簡単に言うと宗教の入門書です。本書の役割はシンプルに一つ。宗教から神秘的ヴェールを剥ぎ取って、僕たちパンピーに分かるレベルまで引き摺り下ろして解説することです。これにより宗教は「めっちゃ素晴らしいもの」ではなくなりますが、同時に「無闇やたらと恐れるもの」でもなくなり、僕たちの理性で許容可能なものとなります。だって、教祖をやるには自分のやってることの意味を理解しなきゃダメですからね。

 本書の具体的効能ですが、たとえば「なんで隣のおばさんは創価学会を信仰してるんだろう?」と疑問に思った場合。本書の解釈を使えば、「創価学会こわい! おばさん不気味!」ではなく、「創価学会素晴らしい! おばさん大好き!」でもなく、「創価学会を信仰することにはこんな意味合いがあるから、おばさんが信じてるのも理解できなくはないなあ」となります。創価学会のところは仏教でもキリスト教でもイスラム教でも他の新興宗教でも入れ替え可能ですが、要するにポイントは「宗教を無闇に恐れない」「宗教をなんとなく賛美しない」「宗教を理解し、適切な距離感を持つ」ことです。宗教はよく分からん異次元から来た不可解なシロモノではなく、僕たちの身近にある文化の一つなのです。

 そんな感じの「完全教祖マニュアル」。おそらく日本一読みやすい宗教入門書だと自負してますのでお気軽な感じでご一読下さい。よろしくお願いします。


 ***

 ちなみに本書を読まれた方で質問などありましたら、こちらのエントリーのコメント欄までお願いします。話の膨らみそうな質問でしたら、エントリーを新たに作ってそこで答えるよう努力したい(答えれないかもね!)と思います。なお、都合の悪い質問は積極的に無視しますのでご了承下さい。


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ヒップホップで学ぶ日蓮

 日蓮というと、創価学会日蓮正宗顕正会などの大本となった仏教者で、もちろん日蓮宗の大本でもあるわけですが、創価学会顕正会は知っていても、日蓮自体はよく知らない人も多いと思います。「良く分からんが立派な人だったんだろうな」と思ってる人も多いでしょうが、まあ立派かどうかは個人の価値観なのでさておき、かなりエキセントリックな人物であったことは間違いありません。僕は個人的にはギャングスタラッパーのような感じで理解しています。こういうこと書くと日蓮信者とヒップホッパーを同時に敵に回しそうな気もしますが、まあ気にせず、ラッパーとしての日蓮像を紹介したいと思います。


マジでリアルな修行時代

・まず、日蓮の生まれですが、彼自身は「賤民の子」であると自称しました。生まれの貧しさや裏街道を歩いてきたと主張するのはギャングスタラッパーの基本ですね。ちなみに、日蓮は漁師の子だとか、さる高貴な血筋の方だとか色々と説がありますが、実際のところは「中流階級くらいじゃないか?」と言われています。

・修行中の日蓮は「釈迦は一人なのに、教えは念仏、禅、真言と様々に分かれている。どれが真実なのだろう」と考えた挙句、法華経だけがリアルだ」との結論に至ります。そして、浄土宗を早速ディスり(悪口)はじめたのです。この時の日蓮「マジでリアルな法華経の行者はオレと最澄だけ」と考えていたらしいですが、もう最澄なんてとうの昔に死んでますから、「自分だけがリアルなラッパーだ」と主張しているわけですね。他のラッパーを偽物(フェイク)扱いするのもラッパーの基本です。

・ちなみに、日蓮天台宗比叡山)で学んでいましたが、天台宗は「一番素晴らしいのは法華経ですよ」と言ってるところなので、彼の「法華経だけがリアル」はそこでの影響を受けたものと思われます。

 しかし、比叡山は当時の総合大学ですから、もちろん法華経以外にも色々と教えていました。「HIPHOPが最高ですよ」と言っておきながら、ミクスチャーもポップスもクラシックもやってたわけです。マジでリアルな日蓮には、そんな比叡山の態度が許せなかったのでしょう。比叡山はリアルじゃねえ(この山は濁れる山なり)」と言って山を降りてしまいました。


ドゥープでハーコーなディス時代

・さて、時は流れ、MC日蓮にも初めてのクラブデビュー(説法)の日がやってきました。そして、日蓮はこの初ライブにおいて「リアルなのは法華経だけ」「念仏を唱えるワックは地獄に落ちる」と激しくディスります。ですが、これには会場に来ていた念仏ラッパー(浄土信者)たちが大激怒。日蓮は寺を出禁(追放)になります。

・寺を出禁になってしまっては仕方ありません。ストリートライブです。日蓮はストリートでゲリラライブ(辻説法)を行い、相変わらず禅や念仏をディスり続けます。激怒した通行人に殴りかかられたりもしますが、次第にファン(弟子)も増えてきます。他の宗派の人にMCバトル(問答)を挑まれることもありましたが、これも撃退し、MC日蓮は着々とファンを増やしていきました。

・そして、勢いに乗った日蓮は次々とアルバムをリリース。アルバム『守護国家論では「いま世に起こっている天変地異の原因は浄土教のせいだYO!」と痛烈にディスり、アルバム『立正安国論では「禅や浄土教を迫害しないと外国が攻めてくるYO!」といった過激なリリックを披露します。まあ、日蓮はあれでピースなラッパーなので、迫害と言っても暴力的なものではなく、「禅や浄土教に寄付するのをやめよう」と呼びかけた感じです。HIPHOP以外のアルバムの不買運動を政府に呼びかけた」と考えて下さい。


サグライフなアンダーグラウンド時代

・と、そんなヤベえリリックばかり書いていた日蓮。当然、敵もわんさかできますから焼き討ちに遭います。政府からも「あまりにディスがキツすぎるから」という理由で伊豆に流罪にされます(「悪口の咎」)。

・しかし、もちろん焼き討ちに遭おうと流罪になろうとMC日蓮に一切反省の色はありません。むしろ、「末法法華経を広めると必ず難に遭うと書かれてるYO! オレがちゃんと法華経を実践してる証拠だYO!」とすごいポジティブシンキングで自己の自信へと繋げます。

・ちなみに、「なぜ迫害されている自分を神々は助けてくれないのか」という問題を日蓮は次のように理論化しました。

1、自分は前世で法華経の悪口を言ったからこんな目に遭っている。
2、そして、いま迫害に遭うことで、前世での自分の悪業がチャラになっている。チャラになれば自分は成仏できる。
3、てことは、いま自分を迫害してるヤツラも、将来オレみたいに迫害される側になって成仏できるんじゃね?
4、じゃあ、オレはいま迫害されることで迫害してるやつらも救っているわけか!
5、つまり、迫害されるくらい激しく布教すればいいってことだな!

 というわけで、日蓮系の宗教は時折周りからブーブー言われるくらい激しく折伏(布教)してるらしいですよ。

・さて、そのMC日蓮。伊豆流罪が許されて地元に帰ると、地元有力者が徒党を組んで襲ってきます。弟子が何人か死んで、日蓮も重症を負います。なんというギャングスタライフ

・また、その頃、政府へ蒙古から国書が届きます。日蓮は「オレの言ったとおりだYO! 蒙古が攻めてくるYO! 速く法華経に帰依するんだYO!」と幕府に言いますが、当然無視されます。

・あんまり無視されるんで、当時の仏教界のビッグネームに「MCバトル(問答)でケリをつけようぜ」と挑戦状を送りますが、当然無視されます。

・あんまり無視されるんで、高僧が雨乞い祈祷しているところに行って、「7日以内に雨が降らなかったら、お前はフェイクってことだYO!」と言い出します。高僧はたぶんすごい迷惑だったと思います。結局、雨は降らなかったので、日蓮は「雨降らなかったから、あいつ悔し泣きしてたYO!」とか言い出します。おいおい。

・そんなことやってるので、また逮捕されて、今度は佐渡流罪になります。

・なお、この護送中、八幡菩薩に向かって、「なんでオレを護らないんだよ、このワックやろう!」と大声でディスりました。リアルすぎる。

・ファン(信者)たちからも、「もう少し穏やかなリリックを書いた方がセルアウトできますよ(もう少し穏やかに教えを説けばこのような難にあわずに済んだのでは……)」と忠告されますが、「難に遭ってるということはオレがリアルということだYO!」と言い返しました。日蓮、止まりません。


ヤバすぎるスキル時代

・「法華経には『法華経を広めるものは迫害に遭う』と書かれているが、実際に迫害にあったのはオレだけだYO! MC最澄すら迫害にはあってないYO!」と言い出して、ついに、「リアルなのはオレと最澄だけ」から、「リアルなのはオレだけ」の高みへと至ります。

・ちなみに晩年には、「オレは菩薩のリーダー(上行菩薩)の生まれ変わりかもしれないYO!」とまで言ったと伝えられてますが日蓮a.k.a.上行菩薩、これは文献学的には怪しいところで、「弟子が自分を上行菩薩の生まれ変わりと見ていたことは黙認していたが」「自分を上行菩薩と考えていたというのは流石にないのではないか?」といった意見もあります。とはいえ、文献学的にはどうであれ、信仰の世界(日蓮系の宗教)では「日蓮上行菩薩であることを自覚していた」ことになっています。

 これはたとえば、キリスト教の信者は「イエスは自分が神の子であると自覚していた」と考えますが、実際はイエスにはおそらく神の子の自覚はありませんでした。それと同じように日蓮系の信者も「日蓮は自分が上行菩薩の生まれ変わりであると自覚していた」と考えている(実際の日蓮は自覚していない)という感じかと思われます。しかし、日蓮のリアルさを考えるに、ガチで自覚していた可能性もありそうな……。

・なんだかんだ言って今まで日蓮の予言は当たってたので、幕府に召喚されて、「次に蒙古はいつ来るの?」と聞かれます。日蓮「すぐ来ます! マジヤバイから今すぐ禅や念仏を迫害しましょう! 今すぐ!」と言いますが、幕府もそんなわけにはいきませんから、「それは無理。地位と名誉あげるから、蒙古調伏の祈祷してくんない?」となだめにかかります。しかし、日蓮はマジでハーコーなので「てめえ、オレをセルアウト呼ばわりする気か!」と怒って身延山に引きこもったのでした。おわり。


 ***

 うん。良くも悪くもマジでリアルな人ですね! ちなみに、鎌倉仏教では日蓮ばかりがエキセントリックでマジヤベえ印象が強いですが、浄土宗の法然もあんまり変わらないくらい過激な人だったらしいですよ。


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