宗教の勧誘に付いていくとどうなるの? 「エホバの証人」編

ものみの塔エホバの証人

出席形態:自宅勉強会
参加時間:週一で1時間程
取得物:小冊子

 皆さんのおうちにもたまに来るおなじみのエホバの証人です。来た人と色々話をしていると(興味のありそうな素振りを見せると)、週一回くらいのペースでおうちに来て、小冊子を教科書に使っての勉強会が行われるようになります。ゆっくりとしたペースでしっかりとやっていくので相当時間が掛かりますが、これを一通りこなすと、エホバの証人がどのように聖書を理解しているのか、大抵のことは分かるようになりそうです(まあ、普通の人にはそんな知識は必要ないでしょうけど……)。

 ただ、「聖書に興味があるから」という理由で勉強会をする人は、これが「エホバの証人の聖書解釈である」という前提はしっかり踏まえておくべきです。いや、別にカトリックの聖書解釈と比べてエホバの聖書解釈が劣ってるとかは言いませんが、世間一般ではカトリックの聖書解釈の方が罷り通ってますから、他の人と聖書の話をする時に話が噛み合わなくなる可能性があります。エホバの証人は神の三位一体を認めず、イエスとミカエルを同一視するなど、かなり独特な解釈をしてますから。

 ちなみに「イエスとミカエルを同一視」なども、パッと見は「何をアホなことを言ってるんだ」という感じですが、聖書のあっちとこっちを繋げ合わせて、あーだこーだとやれば確かにそういう論理になります(こういうのはカトリックもやってます)。なので、「ね? イエスとミカエルは一緒でしょ?」と言われれば、「ううん、そうなるなあ」となるわけです。(※1)

 モルモンが感情(信仰)オンリーで話を進めるのに対し、このようにエホバは論理で来ます。

「Aは一般的に正しいとされていますよね。あなたもそう思いますか?」
「はい、それはそう思いますね」
「では、聖書によるとAが正しいならBも正しいことになりますよね」
「そうですね」
「すると、AとBを考えると、私たちの言い分が正しい気がしてきませんか?」

 といった具合にです。これは普通の人にはすごく「No」と言い辛い流れです。エホバの人たちは「特に積極的に入信させる気はない」「ただ、自分たちの知識と解釈を伝えるのが使命だからやってる」「後は各自に判断してもらう、強制はしない」というスタンスですが、いかんせん理詰めなので「彼らの言うことを正しいと思わない」のはちょっと難しいかもしれません。人によっては「なんかイヤだけど、特に断る理由が見つからないなあ」という状況になるかもしれず、断りにくいという意味ではモルモンより辛いかも。モルモンなら「そんなこと言われても分かりません」で終わりですが、エホバの証人は言ってること自体は良く分かるんですよね。まあ、無理に断らずとも別にイヤじゃないなら入信すればいいんじゃないかとも思いますが。(※2)

 また、日曜礼拝にも参加しましたが、こちらはまるで中学校の国語の授業のような感じで、静粛で真面目な雰囲気ですが部外者的にはすごく退屈です。おうちでの勉強会では、彼らの理詰めに対して議論をすることも可能ですが、こちらではみんな素直にハイハイと進んでいくので特に知的好奇心を刺激されることもありません。「信仰を持っている人の論理の確認会」みたいな感じです。なので、信仰を持っていない部外者には退屈なだけかと。ただ、彼らの「まるで全員がクラス委員長かのような」とびきりの真面目さにはちょっと驚かされましたが。特に礼拝後に勧誘を受けるなどはありません。


※1 個人的意見としては、やろうと思えば聖書からは大抵の結論を引き出すことができると思います。カトリックなども凄まじいウルトラCを使って(ex.「ま、まさか新約聖書のここの1単語を旧約聖書のここの文節と結びつけるなんて……!」)結論を出したりしていますから、解釈次第で大体何とでも結論できるんじゃないでしょうか。

※2 僕は不可知論者なので、「あなたの言ってることは正しいかもしれないし、正しくないかもしれない」という態度で常に聞いていますが、エホバの証人の人からすれば「信じても信じなくてもいいから最後にはどちらか答えを出してほしい」ということだそうです。不可知論も一つの宗教的態度なのでそういうことを言われても正直困るんですが……。まあ、それはさておき、不可知論はまず土俵に上っていないわけですから、彼らからすれば「土俵にさえ上ればウチの論理はイケル!」というくらい論理に自信があるということなのかなあ、と思います。