非実在青少年のアレ

 いま巷で話題の非実在青少年問題ですが、これにキリスト教原理主義団体が関係しているという話があります。「フィクションの未成年と性交渉を持って誰が困ると言うんだ。アホじゃなかろうか」という向きもあるかと思いますが、しかし、宗教的背景を考えればこれを規制したいという考え方も全く分からないものではありません。

 というのも、僕たちの多くは「犯罪も考えるだけなら自由。実際に行動に移さなければOK」という考え方を常識としているわけですが、これはあくまでも「僕たちの常識」であって、「彼らの常識」ではないからです。宗教の世界では「考えただけでもアウト」という教えは珍しくありません。キリスト教では、例えばマタイ福音書5章にこうあります。

『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。

  ここでは「実行」を伴わない「脳内妄想」だけでもアウトと明言されているのです。これと同じことが非実在青少年にも言えるのでしょう。なお、キリスト教ピューリタンの一派では生殖目的以外でのセックスを認めていなかったらしく、行為の際は女性は頭から布袋をかぶって局部にだけ穴を開けてやっていたと聞きますが、それはそれでむしろエロい気がします。

 また仏教においても、良くないことを考えると、その思考の残りカスが阿羅耶識というところに溜まっていって、そこでいわば「思考のクセ」を作ってしまい、それが行動や認識に影響を及ぼしちゃう。だから悪いコトは考えちゃダメよ、ということを言っています。

 ですので、「犯罪も考えるだけなら自由。実際に行動に移さなければOK」というのも、あくまで「僕たちの常識」でしかないことは自覚すべきでしょう。彼らには彼らの倫理観と世界観があり、「彼らの常識」があるのです。ですから、僕たちは彼らを頭ごなしに否定したり、「あいつらはキチガイだ」などと言うのではなく、彼らの言い分を認め、彼らの意見を尊重すべきです。そして、きちんと尊重した上で、やっぱり嫌な人は「嫌なことは嫌だ」とハッキリ言って、反対多数の数の力で「僕たちの常識」を押し通しましょう! それが民主主義というものです! 架神恭介raven、辰已一世は非実在青少年表現規制に反対しています。